こんにちは、ジャイ子です。
郭林の希望の星、私の憧れの人、手術さえできなかった膵臓癌を郭林気功で治した、奈良の馬子さんをご紹介します。
昨年の郭林合宿で、みんなの前でお話してくださった内容を、ご本人の了解を得て書き起こしました。
馬子さんのお話
「私の病気がわかったのは、平成16年でした。なんとなく体調が悪くて主治医に相談に行ったのがきっかけでした。CTを撮っていただきましたら、4センチの塊がみつかり、長くおかないほうがいいという事で、京大病院で2月16日にオペをしました。が、癌に動脈が絡まって摘出できず、術中照射をして、癌は残したまま閉じました。その後、100日入院しました。
入院中に、娘のお友達にこの郭林新気功の教室を教えていただき、車椅子で連れて行ってもらいました。車椅子で気功をしましたが、その頃嘔吐がひどくて大変でした。
最初は、ベッドに座って重心を変えるだけの気功でしたが、次第に足が動くようになり、病院の廊下を朝早く幽霊のように歩いてました。
2回目のお教室の時に中国合宿のお話があり、萬田先生にご相談すると、あっさりと受けていただきました。姉に付き添ってもらって、車椅子で中国に行きましたが、始めは、これで5日間過ごせるのか心配でした。5日間で、中国の方の体験談もありましたが、1番の収穫は、お元気になられた東京の患者さん達にお会いできたことでした。みなさん、大変なご病気だったのに、大きなスーツケースをご自身で運んでおられました。私も、ああいう風に元気になりたいと思いました。
行きは車椅子でしたが、帰りは歩いて帰ってきました。夫は別人が帰ってきたかと思ったと言っておりました。
病院では、抗癌剤は身体がだるくてもたなくなったので、いつまで続けるのかとお聞きしましたら、1年か1年半だと言われました。今考えましたら、それくらいで死ぬという意味だったと思います。私はこんな事では本当に死ぬと思い、抗癌剤はやめさせていただきましたが、経過観察だけは続けていただきました。
(それからは、)もう気功しかないと思い、8年間で休んだのは6日だけでした。孫が学校から持って帰ってきたノロウィルスをもらった3日間と、ぎっくり腰で動けなかった3日間だけです。やらないと気がすまなかったです。雪の降った朝には、私の足跡と犬の足跡しかなかったです。毎日、3時間気功して3時間休憩しました。ですから、ほとんど他のことは何もできませんでした。
体調が悪くて自分で練功ができない時は、娘が車で奈良の唐招提寺につれて行ってくれました。車から降りる元気がある時はお庭で、ない時は車の中でしました。日頃忙しくて寝る時間もない娘が、私に時間を作ってくれたことには、本当に感謝しております。
主人も、私が大雨の中も出かけていく後姿を見て、やめなさいという言葉は出なかったと申しておりました。
あれから8年がたちまして、2年前に主治医から『もう治った』と言われました。
もう年をとり、京都教室には行かないほうがよいかと思いますが、萬田先生に『あなたの姿を見るだけで元気になる人がいるから、是非来てください』と言っていただき、恩返しのつもりでなるべくお邪魔するようにしております。」
以上が、昨年の戸隠の合宿でお話してくださった、概要です。
今年も郭林合宿に参加してくださるご予定とお聞きしております。みなさん、合宿に参加して、希望の星、馬子さんに直接お会いしてください。本当に生きる力をいただけます。
私も大変楽しみです。
大阪・ジャイ子
郭林の希望の星、私の憧れの人、手術さえできなかった膵臓癌を郭林気功で治した、奈良の馬子さんをご紹介します。
昨年の郭林合宿で、みんなの前でお話してくださった内容を、ご本人の了解を得て書き起こしました。
馬子さんのお話
「私の病気がわかったのは、平成16年でした。なんとなく体調が悪くて主治医に相談に行ったのがきっかけでした。CTを撮っていただきましたら、4センチの塊がみつかり、長くおかないほうがいいという事で、京大病院で2月16日にオペをしました。が、癌に動脈が絡まって摘出できず、術中照射をして、癌は残したまま閉じました。その後、100日入院しました。
入院中に、娘のお友達にこの郭林新気功の教室を教えていただき、車椅子で連れて行ってもらいました。車椅子で気功をしましたが、その頃嘔吐がひどくて大変でした。
最初は、ベッドに座って重心を変えるだけの気功でしたが、次第に足が動くようになり、病院の廊下を朝早く幽霊のように歩いてました。
2回目のお教室の時に中国合宿のお話があり、萬田先生にご相談すると、あっさりと受けていただきました。姉に付き添ってもらって、車椅子で中国に行きましたが、始めは、これで5日間過ごせるのか心配でした。5日間で、中国の方の体験談もありましたが、1番の収穫は、お元気になられた東京の患者さん達にお会いできたことでした。みなさん、大変なご病気だったのに、大きなスーツケースをご自身で運んでおられました。私も、ああいう風に元気になりたいと思いました。
行きは車椅子でしたが、帰りは歩いて帰ってきました。夫は別人が帰ってきたかと思ったと言っておりました。
病院では、抗癌剤は身体がだるくてもたなくなったので、いつまで続けるのかとお聞きしましたら、1年か1年半だと言われました。今考えましたら、それくらいで死ぬという意味だったと思います。私はこんな事では本当に死ぬと思い、抗癌剤はやめさせていただきましたが、経過観察だけは続けていただきました。
(それからは、)もう気功しかないと思い、8年間で休んだのは6日だけでした。孫が学校から持って帰ってきたノロウィルスをもらった3日間と、ぎっくり腰で動けなかった3日間だけです。やらないと気がすまなかったです。雪の降った朝には、私の足跡と犬の足跡しかなかったです。毎日、3時間気功して3時間休憩しました。ですから、ほとんど他のことは何もできませんでした。
体調が悪くて自分で練功ができない時は、娘が車で奈良の唐招提寺につれて行ってくれました。車から降りる元気がある時はお庭で、ない時は車の中でしました。日頃忙しくて寝る時間もない娘が、私に時間を作ってくれたことには、本当に感謝しております。
主人も、私が大雨の中も出かけていく後姿を見て、やめなさいという言葉は出なかったと申しておりました。
あれから8年がたちまして、2年前に主治医から『もう治った』と言われました。
もう年をとり、京都教室には行かないほうがよいかと思いますが、萬田先生に『あなたの姿を見るだけで元気になる人がいるから、是非来てください』と言っていただき、恩返しのつもりでなるべくお邪魔するようにしております。」
以上が、昨年の戸隠の合宿でお話してくださった、概要です。
今年も郭林合宿に参加してくださるご予定とお聞きしております。みなさん、合宿に参加して、希望の星、馬子さんに直接お会いしてください。本当に生きる力をいただけます。
私も大変楽しみです。
大阪・ジャイ子
ジャイ子さん、こんにちは。
返信削除いつも投稿を楽しみにしています。
馬子さん、スゴイの一言です!
まさに、決心・信心・恒心の三信が実を結んだのですね。
日々の行動が脳や中枢神経の反射を変えてしまうそうです。
これで治すと決めて、毎日淡々と気功をやり続けることでガンをも治してしまう身体に変わってしまうということでしょうか?
信じて続ける、これにつきますね。
私も第2の希望の星となって、戸隠合宿で皆さんの前で、「いやいや、あの時は大変でしたよ〜〜」なんて語ってみたいです。
PS 治療法のない私にとって、ジャイ子さんも私には希望の星ですよ!
たんぽぽさん、ありがとうございます。
返信削除私の拙い文章を読んでいただいてる方がいらっしゃると思うと、嬉しくなります。
治療法がないというのは、そのお医者さんに治す術がないという事で、方法はあると思っています。まさに馬子さんが、そうですよね。
もしよければ、投稿もお願いします。癌患者には、家族にも言えない事もあります。私もそうでした。そんな事を共有できる、ブログになれば、嬉しいです。