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抗がん功法の教室です - since 1997 -
ガンに負けない体、リラックスし穏やかに日々を送れる心。それを育むことを目標に明るく楽しく練功しています。
35年にわたり日本での郭林新気功 郭林気功の普及に努めてきた「郭林新気功協会」より講師をお招きして、懇切丁寧にご指導いただいております。

2016年8月18日木曜日

敦賀だより(ほのぼの)


お盆の最後の日、敦賀では毎年8月16日は、灯籠流しと花火大会がある。
朝港で練功をしていると、その準備か、周囲がざわざわして落ち着かない。
敦賀の人口の3倍ほどの人が、毎年浜に集まり、花火を楽しむのだそうだ。
私は毎年、花火がボンとあがったら、父と歩いて浜まで行き花火を見るのが、ここ数年の行事になっている。
母は一緒には行かない。
「戦争を思い出すから…」と言う。
敦賀の街が空襲で壊滅した日、母は疎開先で、街が焼けるのを見ていたと言う。
焼夷弾が落とされる時放つ光は、花火のようだったと言った。
焼ける街を、ただ黙って見ていた幼かった母は、どんな思いでそれを見ていたのだろうか…
戦後71年が経ち、快適に暮らせる世の中になって、楽しい事もいっぱい経験してきたと思うけれど、あの日見た焼夷弾の光は、まだ母の心から消えていない。

京都・ほのぼの

11 件のコメント:

  1. ご投稿のお陰で、随分と敦賀に詳しくなった気がします。
    敦賀も空襲があったんですね。うちのオフクロも、大阪空襲で家を焼かれてますが、花火に拒否感はないようです。(ボケのせいでもないようですが)
    この関係の投稿もまた書きたいと思います。

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    1. お母さんはディサービス順調にいってますか。
      戦後を経験された方は、我慢強いですからね。

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    2. ありがとうございます。母はリハビリのサービスだけとりあえず利用してます。しかし、金銭感覚がやはり、ですね…

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  2. わたしの母は大阪大空襲の時小学校3年生。一人で逃げて知らない人に防空壕につれていってもらったそう。阪神淡路の震災の時、ヘリコプターの音に震えていた。戦争反対。

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    1. 戦争だけではなく、震災にもあわれて、ヘジャさんのお母さんは、辛い思いをされたのですね。でも今ヘジャさんが、しょっちゅうご実家に足を運ばれている事が、お母さんは何よりも、心丈夫だと思います。まるでウルトラマンです。

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  3. 私がよく使う駅や、普段の練功場所も空襲で沢山の人が犠牲になったそうです。過去の歴史は修正せずありのまま伝え、惨禍を繰り返さないようにする必要があります。
    他の動物と違って、せっかく人間は言葉で知恵を蓄積できるのですから、どうすれば戦争を防げるのか、に何よりも頭を働かせるべきだと思います。

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    1. しみやん、本当にそうですね。
      戦争によって命が奪われ、命はあっても心の傷は、永遠に消えない。戦争絶対反対。

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  4. 田舎の墓石には、おじの名前の後に戦死ってかいてあります。あったことはないけど、若くして命をたったおじが悲しいし、おばあちゃんは、何年経っても、お墓の前で泣いてたのを覚えています。戦争反対!

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    1. 戦死した家族を哀れみ泣く姿は、子どもの頃によくみました。
      見てる方も辛くなって、そんな事から戦争を考えた気がします。
      戦争絶対反対。

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  5. 私の母も終戦時に20歳という乙女(今では想像もできませんが。。。)大阪大空襲では、大阪市内を逃げ回ったと、何度も何度も聞かされました。戦争の悲惨さは、伝えることで平和の大切さを実感してもらえるようです。90歳になった母の代弁者になれるよう、健康で心豊かに過ごしたいものです。

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    1. そうですね、こむぎさん、戦争を知らない私達が、戦争を経験した親から聞いた、悲惨な当時の話を、次の世代に語り次ぐ義務があると思います。

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